シャルル・デュトワ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=327156 / CC BY SA 3.0

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シャルル・デュトワ

シャルル・エドゥアール・デュトワ(、1936年10月7日 – )は、スイス出身の指揮者。「音の魔術師」との異名をとる。

ローザンヌ生まれ。青年期にエルネスト・アンセルメと交流を深めるかたわら、同地とジュネーヴの音楽院で指揮、ヴァイオリン、ヴィオラ、打楽器、作曲を学ぶ。指揮科を首席で卒業後、シエナのキジアーナ音楽院でアルチェオ・ガリエラに師事。その後、アメリカ合衆国のタングルウッド音楽祭でシャルル・ミュンシュに師事。また、ルツェルン音楽祭ではオーケストラの奏者としてヘルベルト・フォン・カラヤンと共演し影響を受けている。

学生時代からヴィオラ奏者として、欧州や南米のさまざまなオーケストラに在籍する一方で、1958年から1963年までローザンヌ大学合唱団の指揮者を務める。1959年1月、既に親交のあったマルタ・アルゲリッチをソリストに迎え、ローザンヌ放送所属のオーケストラを指揮して指揮者としてプロデビューする。以降、スイス・ロマンド管弦楽団やローザンヌ室内管弦楽団の客演指揮者を務める他、チューリヒ放送所属のオーケストラの指揮者となる。1964年にカラヤンの招きでウィーン国立歌劇場に登場し、以降2シーズン、同劇場のバレエを担当する。1967年にパウル・クレツキからベルン交響楽団を引き継ぎ1978年まで首席指揮者を務める一方、ベルンに在任中の1967年から1971年までチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団でルドルフ・ケンペを補佐している。1973年から1975年にを、1975年から1978年までエーテボリ交響楽団の指揮者も兼務した。

1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。短期間で同楽団をカナダ随一の世界的なオーケストラに育て上げ、「フランスのオーケストラよりもフランス的」と評された。以後2002年に辞任するまでの25年もの間、精力的に海外公演や録音活動を行い、世界中から数々の賞も受賞した。

1990年から2010年まで、フィラデルフィア管弦楽団が参加するニューヨーク州夏のシリーズの芸術監督ならびに首席指揮者を務める一方、2000年から3年間、レナード・バーンスタイン提唱の国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)でも芸術監督を務めている。

1991年から2001年までフランス国立管弦楽団音楽監督に就任、同楽団とは数々の録音で共演して高い評価を受けるとともに、広く五大陸で演奏旅行を行う。1996年にフランス政府より“Commandeur de ”を授与され、同年にはカナダ政府からも叙勲された。カナダ人以外で初めて、ケベック州民勲章も受賞している。

2008年から4年間契約でフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、2009年からはヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督とロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めている。

主な客演としては、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、パリ管弦楽団、北ドイツ放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、また、シカゴ交響楽団やニューヨーク・フィルハーモニックなどのをはじめとする全米の主要なオーケストラにも頻繁に登場している。

シャルル・デュトワは4度の結婚経験があり、かつての伴侶としては、2人目の妻であるピアニストのマルタ・アルゲリッチと、3人目のオンタリオ州出身のエコノミスト・実業家、(旧姓Drouin)の名が知られている。2010年にはヴァイオリニストのシャンタル・ジュイエと結婚した。アルゲリッチとの間に娘アンヌ=カトリーヌ(Anne-Catherine)がいる。また、1990年生まれの映画監督、女優、脚本家のアンヌ=ソフィー(Anne-Sophie)は、孫(最初の妻との間の長男イヴァンの娘)である。

デュトワは、ベルリオーズやビゼー、ラヴェル、イベールなどのフランス音楽、リムスキー=コルサコフやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフといったロシア音楽を得意としている。このほかに、オネゲルの作品や、レスピーギのローマ三部作(「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭」)とヴァイオリン協奏曲、ファリャのバレエ音楽、武満徹の管弦楽曲の解釈にも卓越したものがある。デ…

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