2567【01R】Amazing Grace of God by John Newtonジョン・ニュートンの神の驚くべき(やさしさ)についてby Hiroshi Hayashi, Japan

Amazing Grace, How sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now am found
T’was blind but now I see

T’was Grace that taught my heart to fear
And Grace, my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed

Through many dangers, toils and snares
We have already come.
T’was grace that brought us safe thus far
And grace will lead us home,
And…

John Newton (4 August 1725 – 21 December 1807) was an English Anglican clergyman who served as a sailor in the Royal Navy for a period, and later as the captain of slave ships.
He became ordained as an evangelical Anglican cleric, served Olney, Buckinghamshire for two decades, and also wrote hymns, known for “Amazing Grace” and “Glorious Things of Thee Are Spoken”.

ジョン・ニュートン作詞の賛美歌、それがアメージング・グレイス、です。
一般には、「驚くべき恵み」と訳されています。
神学では、「恵み、恩寵、恩恵」となっているからです。
ウィキペディアの訳をそのまま紹介します。

驚くべき恵み、なんと甘美な響きよ。
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。

神の恵みが私の心に恐れることを教えた。
そしてこれらの恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。

多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私を無事に導いた。
だから、恵みが私を家に導くだろう。

そこに着いて一万年経った時、
太陽のように輝きながら
日の限り神への讃美を歌う。
初めて歌った時と同じように。

日本語訳では「grace」を、「恵み」と訳しています。
が、本当にそうでしょうか。
それが正しい訳なのでしょうか。
私は正しくは「慈悲」あるいは「やさしさ」と訳すべきではないかと考えています。
というのも、神自身はけっして自分の名前を語らないので、それがだれであるか、本当のところはわかりませんが、その神は、やさしい。
本当にやさしい。
そのやさしさに触れたとき、あなたもそれが「驚くほどやさしい」と感ずるはずです。
繰り返しますが、本当にやさしい。
驚くほど、やさしい。

ですからジョン・ニュートンも、神の声、あるいはそのサインを聞いたと私は確信しています。
そしてそれを「本当にやさしい」と思ったのだと確信しています。
そしてジョン・ニュートンはこの詩、つまり「amazing grace」を書き上げたと確信しています。
だから私、はやし浩司は、ジョン・ニュートンはこの詩をこう訳します。

Amazing Grace, How sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now am found
T’was blind but now I see

あなたの驚くべきやさしさ、
そのお声は、なんと温もりがあることか。
そのお声が、どん底にある私のような者を救ってくれました。
私は一度は道に迷い盲目でしたが、今はものを見ることができます。

T’was Grace that taught my heart to fear
And Grace, my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed

あなたのやさしさは、私の心に恐れを教えました。
そしてそのやさしさが、私の恐れを和らげてくれました。
そのやさしさを触れることができたことは、なんと貴重なことなのでしょう。
そのときはじめて、私はそれがわかりました。

Through many dangers, toils and snares
We have already come.
T’was grace that brought us safe thus far
And grace will lead us home,
And…

多くの危険、苦しみ、誘惑を通して、
私たちはわかりました。
私たちをこんな遠くまで安全に導いてくれたのは、あなたのやさしさである、と。
そしてそのやさしさが、私たちを家路に導いてくれました。

 私、はやし浩司は、どん底のどん底、まさにその生き地獄の中で、名前はわかりませんが、神のやさしさに触れることができました。
そのぬくもりが、私の恐れをやわらげてくれました。
みなさん、今の今も、現実的な存在として、神は存在しますよ。
私やあなたのすぐそばにいて、私たちを温かく、見守ってくれていますよ。

We have another history, hidden behind secret, which has been warped since the beginning days of the humans’ history.
私たち人間には、人間がまだ知らない、隠されたもうひとつの歴史がある。

Social Consciousness com writes as follows:

Our history is not what we think!
Over the past few thousand years, we have warped our own history.
Our versions of the past has been mistranslated, changed, altered, and skewed to fit our understanding of reality, and completely left our many things that we cannot explain.
Today, we are going to look at an alternate version of our history, a version that was recorded across many ancient tablets and artifacts throughout time, which have only recently been uncovered.
I, Hiroshi Hayashi, will present you one of the hundreds of facts I have discovered here in this video.
A fact about Leonardo da Vinci.

社会意識・コム・サイトは、つぎのように書いています。
私たちの歴史は、私たちが思っているようなものではない、と。
つまり私たちの歴史は、過去数千年もの間、捻じ曲げられてきた。
人間の歴史は、現実に合わせるため、誤訳され、変えられ、手が加えられ、捻じ曲げられてきた。
そしてその結果、説明できないものを、そのままにしてきた。
私たちは今こそ、もう一方の側にある歴史に目を向けるべきではんないのか。

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