サミュエル・バーバー

サミュエル・バーバー, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=209049 / CC BY SA 3.0

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サミュエル・バーバー

サミュエル・バーバー(、1910年3月9日 – 1981年1月23日)は、米国の作曲家。特に弦楽のためのアダージョが有名。

ペンシルベニア州ウェストチェスター出身。外科医の父とアマチュアピアニストの母の間に生まれる。19世紀のアメリカ東部で名声を博したオペラ歌手、ルイーズ・ホーマーの甥に当たる。その夫シドニーは19世紀のニューイングランドなどで人気の歌曲作曲家であった。

フィラデルフィアのカーティス音楽学校でロザリオ・スカレロに作曲を学ぶ他、ピアノ・声楽を専攻。また、フリッツ・ライナーに指揮も学ぶ。最優等を得て卒業した後、1935年に、ローマのアメリカ学士院より奨学金を得て、翌年よりイタリア留学を果たす。同地で《弦楽四重奏曲第1番ロ短調》を作曲、この第2楽章が後に弦楽合奏用に編曲され、《弦楽のためのアダージョ》として広く親しまれるに至った。

同世代のパリに留学したアメリカ人作曲家、たとえばコープランドやカーターなどとは違ってモダニズムや実験的姿勢に走らず、和声法や楽式において、かなり伝統に従っている。バーバー作品は豊かで華麗な旋律が特徴的で、新ロマン主義音楽の作曲家に分類されている。同じくイタリア留学組のハワード・ハンソンと並んで、「最後のロマンティスト」と評されるゆえんである。とはいえ、いくつかの作品、たとえば《ヴァイオリン協奏曲》のフィナーレにおける無調、《ピアノ・ソナタ》の中間楽章における12音、《ピアノ協奏曲》におけるプロコフィエフばりの打鍵主義など、現代的な要素が皆無というわけではない。

ピアノ伴奏ないしは管弦楽伴奏の歌曲集は、とりわけ英語圏出身の歌手にとっては不可欠の、20世紀の古典的レパートリーとなっている。初版では弦楽四重奏とバリトンのための《ドーヴァー・ビーチ》、中世アイルランド無名作家による詩に基づいた《隠者の唄》、ソプラノと管弦楽伴奏のための《ノックスヴィル、1915年夏》などは特に有名である。《この輝ける夜に”Sure on this Shining Night” 》作品13-3は、エリー・アーメリングなどのレパートリーにも入った人気の歌曲で、後にオーケストラ伴奏版も作成された。バーバー自身は優れたバリトン歌手であり、声楽の訓練も受けたことがあった。声楽家兼作曲家としてカーティス四重奏団と共に自作の演奏旅行をしたり、《ドーヴァー・ビーチ》などの自作の録音を残し、レコードが発売されたこともある。ただし、バーバーの声楽家としての録音点数は少ない。大規模な合唱曲として、《キルケゴールの祈り》(1954年)と《恋人たち》(1971年)がある。また、《弦楽のためのアダージョ》にラテン語の典礼文を載せた《アニュス・デイ》といった秘曲もある。

バーバーはまた優れたピアニストでもあり、人前で舞台に立つことこそなかったが、1日の仕事を始める前に、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》などを弾く習慣があり、とりわけスクリャービンやラフマニノフのピアノ曲に傾倒したと言われる。また、ラフマニノフの使っていたピアノを所有していた。《ピアノ・ソナタ》は1949年に作曲され、ホロヴィッツによって初演された。それゆえこの作品は、国際的に有名な演奏家によって公式に初演された、最初のアメリカ人作曲家によるピアノ曲と見なされている。またこの作品は、リチャード・ロジャーズとアーヴィング・バーリンが創設した楽譜出版社から出版されている。

その他の器楽曲のうち、純粋な管弦楽作品としては、弦楽合奏のためのセレナーデ、2つの交響曲(《第1番ホ短調》(1936年)、《第2番》1944年)、演奏会用序曲《悪口学校》(1932年)、《シェリーによる一景のための音楽》、3つの《管弦楽のためのエッセイ》(順に1938年、1942年、1978年)がある。

ほかに協奏曲では、《ヴァイオリン協奏曲 ト長調》、《チェロ協奏曲》、《ピアノ協奏曲》(1962年9月24日にジョン・ブラウニングとボストン交響楽団によりニューヨークで初演)がある。晩年にニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団からオーボエ協奏曲の作曲を依頼されたが、他界する前に緩徐楽章を遺すにとどまった。この作品は後に第三者(チャールズ・ターナー)…

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