指揮者エリアフ・インバルにマーラーについて話を聞きました。
【訳文は下部に掲載】
新・マーラー・ツィクルス スペシャルサイト
http://www.tmso.or.jp/j/special/mahler/
【悲劇、変容、そして希望──来たるべき時代を予感したマーラーの音楽は、今もなおアクチュアルなのです】
~エリアフ・インバルが語るマーラーの交響曲、その現代性
(都響特別インタビューより)
(以下メッセージ訳文)
マーラーの音楽は、彼の自伝というべきものであり──彼の人生そのもの、でした。マーラーの音楽には、彼の感じた希望や不安、その体験のすべてが表現されています。
偉大な芸術家におしなべて言えることですが、作曲家であれ作家であれ画家であれ、〈時代を先取りする感覚〉を持っているものだと私は思います。普通よりもさらに繊細鋭敏な感覚をもって来るべき時代を予言する、それこそが芸術というものでもあるのです。そしてマーラーもまた、ひとつの時代の終焉と、その先に到来するであろう非常に困難な時代を予感しておりました。実際にマーラー没後、2度の世界大戦が起こることになりますが、彼は自身の予感をその音楽にすべて表現していたのです。
しかし、マーラーの音楽に感じられるのは、悲劇だけではありません。そこからの救済、希望、あるいは天上や理想への憧れといったものが、どの作品にも感じられるのです。それは主に、作品の最後のほうに表現されていることが多いように思えます。たとえば交響曲第1番では、それは〈希望の勝利〉として表現されますし、交響曲第2番《復活》では、ひとつの時代が終わり別の世界が来るという〈変容〉としてあらわれます。交響曲第3番では〈愛の勝利〉、そして交響曲第4番は〈天上の世界〉。天使と共に天国を感じるわけです。
つづく交響曲第5番は楽観的な音楽ですが、つねに疑問符を伴ってもいます。マーラーの音楽においては、よいことも決して絶対ではありません。つねにこの〈疑問符〉があるのです。交響曲第6番も、最後は〈悲劇〉です。そして交響曲第7番は〈死〉。これは彼の娘の死を予言することにもなりましたが、楽観的な音楽にもかならず疑問符が存在します。ゲーテのテキストとともに〈天国〉を表現した交響曲第8番につづいて、交響曲第9番ではふたたび第6番とおなじく〈悲劇〉が表現されます。これは人生の終焉であり、マーラーは自身の〈死〉を受け容れることになります。彼は自分が遠からず死ぬことを知っていたでしょう。最後の楽章で「永遠に‥‥永遠に‥‥」と歌われる《大地の歌》でも彼は今生との別れを告げています。そして、未完成に終わった交響曲第10番でも、人生からの別離を表現しているのです。
マーラーはつねに、希望と楽観、変容、神や天上の世界への信仰、そして死とたたかいそれを受け容れること‥‥すべてを表現しています。そしてそれは、マーラーの音楽をユニバーサルなものにしていると言えましょう。第2次世界大戦の悲劇、あるいは原爆の悲惨、そして今日もなお世界はさまざまな脅威にさらされています。自然災害、宗教的な問題、そして日本でも福島で起こっていること──私たちの時代が抱える問題は、すべてマーラーのなかにも表現されています。マーラーの音楽は、現代においてなおアクチュアルな存在なのです。
聞き手:山野雄大(通訳:松田暁子)