L’apprenti sorcier 1/2 HMV130

魔法使いの弟子
P.デュカス作曲
A.トスカニーニ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
デュカス
Paul Dukas(1865―1935)
フランスの作曲家、音楽批評家、教育者で、フランス近代音楽の黄金期を代表する1人。パリに生まれ同地に没。1882年にパリ国立音楽院に入学、同級のドビュッシーと親友になるが、彼とは対照的な作風をもつ。すなわち、印象主義を開拓したドビュッシーとは異なり、デュカースはベートーベン、ワーグナー、フランク、ダンディらの豊かな管弦楽法と、18世紀のラモーの古典精神を継承している。前者の例にはゲーテの詩による交響的スケルツォ『魔法使いの弟子』(1897)、バレエ用の管弦楽曲『ラ・ペリ』(1910)があり、後者を代表する作品は『ラモーの主題による変奏曲・間奏曲・終曲』(1903)である。オペラ『アリアーヌと青ひげ』(1907初演)は、同じメーテルリンク原作のドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』と並ぶ傑作である。パリ国立音楽院、エコール・ノルマルで教え、批評家としても活躍、また『ラモー全集』などの編集にも携わった。
トスカニーニ
Arturo Toscanini(1867―1957)
イタリアの指揮者。3月25日パルマに生まれる。パルマとミラノの音楽院で主としてチェロを学ぶ。1886年リオ・デ・ジャネイロでオペラ『アイーダ』の指揮に急に起用されながらも成功を収め、指揮に転じ、同年トリノでカタラーニのオペラ『エドメア』でイタリア・デビューした。以来イタリア各地でオペラ指揮者として活動、92年レオンカバッロの『道化師』、96年プッチーニの『ボエーム』を初演、名声を高めた。1898~1908年ミラノ・スカラ座音楽監督。08~15年ニューヨークのメトロポリタン歌劇場指揮者を務め、同歌劇場の黄金時代を築く。その間の10年にはプッチーニの『西部の娘』を初演している。13年コンサートに進出し、成功を博す。21~29年スカラ座に復帰、26年プッチーニの遺作『トゥーランドット』を初演した。29~36年ニューヨーク・フィルハーモニー常任指揮者。37年トスカニーニのためにニューヨークにNBC交響楽団が組織されて常任指揮者となり、54年の引退まで同交響楽団を率いてアメリカ楽壇のみならず、世界の楽壇に君臨した。57年1月16日ニューヨークに没。
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
New York Philharmonic
現代アメリカの代表的交響楽団の一つ。正称ニューヨーク・フィルハーモニック。ニューヨーク・フィル(NYP)と略称される。1842年、合衆国最初の本格的な交響楽団として活動を始め、91~98年常任指揮者を務めたアントン・ザイドルAnton Seidl(1850―98)により演奏水準が高められ、20世紀初頭にはワルター・ダムロッシュWalter Damrosch(1862―1950)、マーラーらが指揮者を務めた。1920年代に、ナショナル交響楽団、ニューヨーク交響楽団などを吸収・合併、メンゲルベルク、トスカニーニという名指揮者を常任指揮者に迎えて活動した。第二次世界大戦後はワルター、ミトロプーロスらに次いで、58年からバーンスタイン、69年からセル、71年からブーレーズ、78年からメータ、91年からマズアが音楽監督を務めた。2002年5~6月、日本を含むアジア演奏旅行等を行ってマズアが退任後、同年9月からはマゼールが音楽監督に就任。2002年現在楽員数106名。リンカーン・センターのエバリー・フィッシャー・ホールでおもに演奏するほか、多くの演奏旅行、録音を行っている。初来日は1961年(昭和36)。
HMV130
英国製卓上型蓄音機の傑作。

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